林真須美が死刑で、何故、福田孝行が死刑にならないのか!?

殺人者の更正や社会復帰など望まない。奴らには死刑が似つかわしい。

 

林真須美に死刑が宣告された。当然のことである。「一日も早い執行を!」と言いたいところだが、林陣営はなんと厚顔無恥にも控訴するという。これで「和歌山カレー事件」は高裁で再度争われることになる。無駄である。浪費である。しかし、これも「民主主義のコスト」と甘受しなければならないのだろう。願わくは、高裁は、可能な限りのスピード審理により爽やかに極刑判決を下すことである。そして、法相は、売国奴=共産主義者=亀井静香の妨害などはねのけ、最短で死刑執行を実施してもらいたい。

 

林真須美への判決は、結果の重大性や社会に与えた影響、遺族感情などを考慮し、死刑求刑が相当と判断して下したという。ならば問いたい。林真須美が死刑で、なんで山口県光市の母子殺人事件の犯人=福田孝行が死刑にならないのか。「結果の重大性や社会に与えた影響、遺族感情など」を考慮すれば死刑が当然なのである。ところが、広島高裁の裁判長、重吉孝一郎は、「刑事責任は極めて重大だが、矯正教育による改善更生の可能性がないとはいい難い」として、一審の無期懲役判決を支持した。

 

まったくの不当判決である。この判決を、聞いて唖然とした人も多いはずである。用意周到に犯罪計画をたて、排水検査を装って夫の留守中の家庭に入り込み、23歳の主婦を絞殺し屍姦した上に、生後11ヶ月の赤ちゃんを床にたたきつけるなどしたうえ、首にひもを巻いて強く引っ張って絞め付殺した福田孝行。この鬼畜と林真須美との間にどれだけの差があるのか。いや、むしろ福田の方がより悪質とも言えるのではないか?

 

林真須美は沈黙を通した。しかし、福田はふてぶてしくも、「7年そこそこで地表にひょっこり芽を出すからよろしくな」、「選ばれし人間は、人類のため、社会のため悪さができる」、「被害者さん(殺された女性の夫)は調子に乗っている」などとうそぶき、遺族を侮辱しその感情をズタズタにしている。

 

林真須美と福田孝行の違いと言えば、林はクソババアで、福田は1999年の犯行当時、18歳になったばかりのクソガキだったという点である。しかし、40近くになって無差別殺人事件を引き起こした林真須美より、18歳にしてこれほどの凶悪犯罪に手を染め、悪びれもしない福田の方を「より凶悪」とすることも出来るだろう。この男が生まれついての凶悪犯罪者である可能性は、彼の「更正の可能性」(判決文)よりはるかに高い。いずれにしろ、死刑当然である。

 

それでは、一体、広島高裁の重吉裁判長は、何故、かくもデタラメな判決を下したのか。この判決が、重吉の一身上の都合だけから出たものであったとしたら、被害者の木村氏のみならず国民はどう思うだろうか。重吉が福田に無期懲役の判決を下したのは、平成14314日である。なんと、重吉はこの事件の判決文を書いた直後の平成14年4月1日付で、鳥取地・家裁所長に就任しているのである。つまり、重吉が光市の判決文を書いていた時には、彼はすでに鳥取家裁の所長に内定していたのである。福田は犯行当時18歳であったためギリギリで少年法の適用外となった。その犯人に死刑判決を下した直後に家裁の所長に収まるのではいかにも聞こえが悪い。こう考えて重吉がお為ごかしだらけの腐れ判決を下したとしても不思議ではない。況や、法律家を僭称する人々の品性の卑しさ、その自己保身根性を知る者にとっては、まったくありそうな話なのである。ここにも日本を根底から腐らせている悪法=少年法の災いがあるのだ。

 

さらにこの判決を出した広島高裁のある広島県は、かの売国奴=亀井静香の地盤である、ということも影響していないだろうか。元警察官僚であり、ヤクザとのつながりがアレコレ取りざたされている一方で、死刑制度廃止を唱える犯罪者の代理人=亀井静香。何故かまったく無駄な三本の本四架橋のうちの一本が、自己の選挙区(広島六区)をズドーンと通っている、公共投資大好きのゼネコンの救済人=亀井静香。このクソガメの本拠地でこその悪質判決、と言えないだろうか。

 

人非人=福田孝行とその「後見人」であるインチキ法律家=重吉孝一郎。そして腐敗政治家=亀井静香。こいつらを「鬼畜三人組」と呼んでも、なんら差し支えないだろう。

 

今や日本は犯罪者の天国である。阿鼻叫喚の集団暴行で、昨日までの「友達」を虐殺するクソガキ共。幼気な子供を虐待死させる出来損ないの親ども。今や気質の者を平然と殺害するようになった堕落ヤクザ、暴走族、三国人凶悪犯、ストーカー殺人者、etc. こんな奴らが大手をふって娑婆と刑務所や少年院の間を往来しているのである。林真須美が死刑なら、当然、こいつらも死刑でなければならない。

 

人を殺したら死刑になるのが当たり前。この単純でわかりやすい原則が、あれこれの愚にもつかない法理論や犯罪者の更正論で踏みにじられている。死刑廃止論を唱える共産主義者のスパイや人権主義者共がかまびすしい一方で、静かなる良民の本音がある。殺人者の更正や社会復帰など望まない。奴らには死刑が似つかわしい。